お知らせ

 ―日印協会110周年の回顧と展望―

2013年1月3日掲載


明けましておめでとうございます。
あらためて平素からの皆様の御支援に感謝申し上げますます。
昨年は日印国交樹立60周年を成功裏に祝いましたが、本年は、わが日印協会の創立110年目にあたります。

1.日印協会の歩み
(1)日印協会は、1903年(明治36年)に、当時のわが国の政治・経済・文化の指導者であった大隈重信侯爵、長岡護美子爵、澁澤栄一翁の3人が発起人になられて創設されました。特に、大隈重信は元首相かつ早稲田大学の前身である東京専門学校の創立者で初代の早大総長、澁澤栄一は500余りの企業を興した日本資本主義の父とよばれました。
当時インドは英国の植民地であり、英国の派遣した副王(Vice Roy)が治めるBritish Rajと呼ばれていました。わが協会の創設者たちは、明治の近代化を推し進めた先駆者でアジアの時代が来ることを予感し、特にインドとの通商の重要性を認識していたのでした。他方、お互いの文化を高く評価し日印の文化交流の重要性を認識していたのが、日本では日本美術の振興者岡倉天心や日本画の大家横山大観、インドでは詩人ラビンドラナート・タゴール(アジアで最初のノーベル文学賞受賞)などの文化・知識人でした。
インドでは、20世紀を迎えるとともに、19世紀後半から起こった対英独立運動が盛んになり、マハトマ・ガンジーが国民運動をリードし、ジャヤハルラル・ネルー等が国民会議派を核に政治活動を活発化しました。
1904年には日露戦争が起こり、翌年にはポーツマス講和会議で日本の勝利が確定しました。ネルーは、1930年から33年までに、獄中で書いて娘(後に首相となるインディラ嬢)に送った196通の書簡を「娘に語る世界史」(Glimpses of World History)と題した本にして出版しました。その中で、日本の勝利に興奮して次のように書きました。

「日本は勝ちました。そして大国の仲間入りをしました。アジアの国日本の勝利は、すべてのアジア諸国に計り知れない影響を与えたのです。少年の私がこれにいかに興奮したか、以前、あなたに話したことがありますね。この興奮は、アジアの老若男女すべてが分かち合いました。ヨーロッパの大国が負けました。アジアはヨーロッパに勝ったのです。アジアのナショナリズムが東の国々に広がり、『アジア人のためのアジア』の叫び声が聞こえました・・・・」(筆者訳)

(2)日印協会は、その後、わが国の官民各方面の支援で発展し、あるいはわが国のインドとの通商を支援し、あるいはまだ外交関係を持てなかった日本政府の対インド関係の先兵として活躍しました。
初代会長は長岡護美子爵、第2代会長は大隈重信侯爵、第3代会長は澁澤栄一翁、第4代会長は大隈信常(早大名誉総長)が務めました。
大正年代から昭和初期にかけて、日印協会は経済活動に重点を置き、カルカッタに日本商品舘を置いたり、インド各地を列車に掲載した日本産品を紹介したり、貿易の促進に貢献しました。1939年には、日本政府から財団法人に認定されました。
しかし、第2次大戦がはじまると協会の活動は衰え、大戦直後は、連合軍によってインドの独立に協力したとされて、日印協会の活動は禁止されました。

(3)1947年、インドが独立するとともに、「日印経済協会」の名称で復活し、インドとの官民の窓口として貢献しました。ネルー首相のもとで、インドは、灰燼に帰したわが国に対し温かい態度で接しました。インドは、わが国の戦後復旧・復興に必須であった鉄鉱石の輸出を許可し、また、ネルー首相自身、日本の子供たちの嘆願を聞いて、上野動物園に娘の名を付けた仔象インディラを贈りました。
極東軍事裁判において、インド出身のラダ・ビノード・パル判事は、ただ一人、この裁判の無効と日本人戦犯たちの無罪を主張しました。パル判事の少数意見は、法律家・国際法学者としての確固たる理論構成によって主張されたものですが、筆者は、日本と関係の深いベンガルの出身であるパル判事には、日本に対する同情と欧米戦勝国に対する反発の気持ちがあったのではないかと思います。
インドは、1951年のサンフランシスコ講和会議は、戦勝国が戦敗国日本に対し圧力をかけて不利な条件で講和するものだと断じ、敢えて参加しませんでした。そして、1952年に独立を回復した日本と対等な関係で日印国交樹立を行いました。勿論、インドは対日賠償を放棄しました。

(4)日印両国が国交を樹立すると、それまでの日印経済協会は、戦前の日印協会の名を取り戻しました。同時に、第5代目の会長として、日本銀行総裁であった一万田尚登が就任しました。活動は、経済のみならず文化や人的交流に広がりました。1955年、第6代会長として櫻内義雄衆議院議員(日印友好議員連盟会長)が就任しました。櫻内会長は、外務大臣や衆議院議長も務め、政治分野でも日印関係の強化に貢献しましたが、日印協会の活動にも大変熱心で、インド側から高く評価されました。
一万田、櫻内両会長はそれぞれ25年ずつの長きにわたって務めましたが、2003年に森 喜朗前首相が第7代会長に就任しました。

(5)森会長は、2000年8月、10年ぶりに現職の首相としてインドを公式訪問し、バジパイ首相との間で「日印グローバル・パートナーシップ」を樹立し、1998年のインドによる核実験で冷却化した日印関係を建て直しました。日印関係を修復し、今日の素晴らしい日印関係の基礎を築いた森会長は、日印関係の中興の祖とされております。筆者は、当時、日本の第20代駐インド大使として森首相をお迎えし、また、2002年には、日印国交樹立50周年の諸行事を実施いたしました。そのような縁もあり、またインドで5年近くにわたり(歴代最長在任記録)大使を務めた関係もあり、筆者が外務省を退官すると、森会長はそれまでなかった日印協会理事長の職を創設し、筆者を迎えました。
それ以後今日に至る間に、日印協会は、2006年には33社に減じていた法人会員が110社まで回復するとともに、個人会員は400名を超えるに至り、日印両国を結ぶ強力な橋として発展を遂げてきました。
1909年から続く機関誌は連綿と続いていましたが、2006年以降、新版「月刊インド」として紙面が拡大されカラー版となりました。2008年からは、日印協会はウェブサイトを立ち上げました。2009年には、高度なレベルでインドや日印関係を論ずるウェブ版季刊誌「現代インド・フォーラム」が創刊され、学者、研究者、実務者たちによるインドや日印関係に関する論文が紹介されてきました。

(6)21世紀に入り、インドは新興国として益々注目を集め、経済面のみならず世界政治における政治的発言力や戦略的重要性が増してきました。日印両国政府の関係も、「グローバル・パートナーシップ」宣言以来、上は首相の相互訪問からか閣僚、各省次官級など多層的な関係が強化拡充されてきました。日本企業のインドへの進出も加速されるようになり、昨年10月現在920社になりました。
2008年には、安倍晋三首相(当時)とマンモハン・シン首相により、日印グローバル・パートナーシップは「日印戦略的グローバル・パートナーシップ」へと発展し、より戦略的に重要な関係に格上げされました。安倍首相は、2008年8月、インドの国会で「二つの海の交わり」と題する素晴らしい演説を行い、太平洋国家日本とインド洋国家インドの二国間関係が、日印両国のみならず、世界やアジアにとっても極めて重要であることを指摘し、インド人から共感を得ました。わが国は、インドとの間で、国連安全保障理事会の改革、世界貿易システムの改革などグローバルな協力を推進するとともに、インドの東アジアへの関与を慫慂・推進し、東アジア首脳会議へのインドの加盟、日米印さらには日米印豪などの地域的な協力の枠組みを築いてきました。二国間では、両国の首相が毎年相互に相手国を訪問する約束が確立したほか、重層的・多角的政府間対話と、政治・安全保障から経済、文化学術、人的交流など幅広い分野での協力が進展しました。

(7)日印協会は、1939年に日本政府から財団法人として認定されてきましたが、2010年、新たな法令の制定を受けて、内閣府により公益財団法人の認定を受けました。内閣府への申請後わずか2カ月で認可されましたが、これは異例のことで、長年の功績と団体としての非の打ちどころのない運営が評価されたからでした。
昨年2012年は、日印国交樹立60周年であり、日印協会は、所有する貴重な写真を中心に関係方面からも厳選収集し、インドや日本で「日印100年の歴史写真展」を開催しました。また、幾つかの講演会も主催しました。それとともに、両国政府や民間団体・個人が開催した多くの友好交流行事を後援しました。また、日本からの投資などの経済進出活動や学生交流などを支援しました。

2.本年の展望
(1)日印関係は極めて良好に進展しつつあり、昨年12月に、インドでも極めて高く評価されている安倍晋三首相が政権に就いたことは、日印関係が飛躍するチャンスをもたらしました。
しかし、日印関係は、その潜在的重要性や大きな可能性にもかかわらず、まだまだ不十分です。2012年10月に内閣府が行った世論調査によると、インドに「親しみを感じる」日本人は47.0%(「親しみを感じる」10.1%+「どちらかと言えば親しみを感じる」36.9%)であるのに対し、「親しみを感じない」44.4%(「どちらかというと親しみを感じない」26.0%+「親しみを感じない」18.4%)でした。もっとも、日印関係は全体として良好だと思うかとの質問に対しては、「良好だと思う」62.%(「良好だと思う」9.1%+「どちらかと言えば良好だと思う」53.6%)に対し、「良好だと思わない」24.7%(「あまり良好だと思わない」18.9%+「良好だと思わない」5.8%)と、かなり良い点が付けられます。
これに対し、3年前の在インド日本大使館によるインドでの世論調査では、インド人の76%が「日本を好き」と思い、92%が日印友好関係の増進を期待し、94%が日本企業の進出を歓迎しました。
要するに、日印関係は進展しているが、依然として、インド人の日本人への「片思い」的なところが残っているのです。

(2)今後は、日印互恵関係の上からも、国連改革、地球温暖化対策、世界的な伝染病対策など地球的規模の問題に対応するためにも、さらには益々強大化する中国が日印双方に及ぼしつつある軍事的脅威に対するためにも、日印両国はがっちりとスクラムを組む必要があります。特に、東アジアの安全保障のためには、インドの関与が増大する必要があり、これに双方の同盟国あるいは友邦である米国、さらには同じような民主主義的価値観を共有する東南アジアや大洋州の諸国と協力を推進する必要があります。
同時に、経済面で双方が持つ可能性を追求していくことが重要です。インドは、日本の政府開発援助(ODA)の最大の受け取り国であり、デリー・メトロをはじめ数えきれないほどの成功を治めてきました。しかし、今後は、貿易投資という民間協力が一段と進められるべきです。すでに両国政府は、そのための多くのメカニズムを立ち上げ、デリー・ムンバイ産業大動脈構想(DMIC)、デリー・ムンバイ貨物新線建設計画(DFC)、ベンガルール(バンガロール)・チェンナイ高速鉄道建設計画など多くのプロジェクトを推進しています。
また、文化学術面でも、双方の有力大学間の協力促進のほか、両国政府が肝いりでインド工科大学の創設や充実のために協力を開始しています。宇宙科学、ナノ・テクノロジーやバイオなどの科学技術面での協力も進展しています。これからは、このような各分野での協力を進めるとともに、次代を担う青少年の交流(留学生の増加、ホームステイや企業によるインターンシップの受け入れ強化など)や観光の促進、地方公共団体やNGO関係強化の促進などにより注力していく必要があります。

(3)昨年11月16日には、民間外交推進協会(FEC、筆者はFEC日印文化経済委員会顧問を兼任)及び日印友好議員連盟と共催で、訪日するマンモハン・シン首相による国民向けの講演会の開催を予定しておりました。折角のチャンスは、わが国の衆議院解散とともに流れましたが、マンモハン・シン首相の日本公式訪問も遠くない将来に行われます。来る訪日の際には、再度同じ共催者とともに、シン首相のわが国国民向けの講演会を開催したいと考えます。
また、日印協会110周年を記念して、何らかの記念行事・事業を行うべく考えて参りたいと思います。

日印協会は、今後さらに重要となる日印協力関係において、イニシャティブをとるとともに、各種団体や個人のイニシャティブを支援していく所存です。
創立110周年の年頭に当たり、日印協会をこれまで御支援してこられた企業や団体の法人会員および多くの個人会員の皆様に対し、深甚なる感謝の念をお伝え申し上げますとともに、今後とも御指導御鞭撻いただきますよう、心からお願い申し上げます。