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森 喜朗日印協会会長、久々にインドを訪問

2010年3月30日掲載


写真上 森喜朗日印協会会長とマンモハン・シン首相との会談
写真下 カルナニディTN州首相宅で会談
                    平成22年3月24日記
                   日印協会理事長 平林 博

当協会の森 喜朗会長(元総理大臣)は、3月15日から18日まで、インドのチェンナイとニューデリーを訪問した。2005年以来の久々の訪印である。

1.訪問の背景

森会長は、10年前の2000年8月にバンガロールからデリーを訪れた。現職の日本総理としては10年ぶりの公式訪問であった。
当時は、1998年5月のインドによる核実験とそれに対する抗議として行われた経済措置(具体的には、日本の対印政府開発援助ODAの停止)のために、日印関係は冷えていた。筆者は、駐インド日本大使として核実験の2か月前に着任し、日本政府を代表して抗議やODA停止の先頭に立ったが、もともと超親日的で国際社会で重きをなしつつあったインドとの関係修復を何とか図ろうとして苦闘していた。
2000年4月に急逝した小渕恵三首相の後を継いで、森 喜朗・自民党幹事長(当時)が総理大臣となり、沖縄サミットを主催した。森首相は、小渕首相同様、ITの時代であるとの認識を持ち、ITで世界的な中心となったインドに注目していた。インドにとっても、国際社会の主要国でありアジアのリーダーであった日本の首相の訪問は、日本との関係修復と国際社会への復帰のために待ちに待った機会を提供したのであった。
以来、森会長は、日印双方の関係者、特にインドの官民から、日印関係の「中興の祖」とされ、高い評価を得てきた。
森首相は、首相の地位を退いた後2003年に、櫻内義雄会長(元衆議院議長)の後を継いで、(財)日印協会の会長となった。森会長は多くの役職にあるが、上記のような背景から、中でもインドを重視している。

2.首相経験者として初めてのチェンナイ訪問―目覚ましい発展を続ける南インドを重視

今回、森会長がチェンナイを選んだのは、わが国の首相経験者のインド主要都市訪問にバランスをもたらすためである。わが国の首相は、森首相以前は、専ら首都のニューデリーを訪問する以上の滞在を行うことはなかった。
しかし、インドは28州、7連邦直轄地を擁する多様性に富む亜大陸(面積は、ほぼEU全体と同じ)であり、近年は地方の発展が著しい。しかし、日本の首相の地方都市訪問としては、2000年に森首相がITで知られるバンガロール(南インドに属するカルナタカ州都、現在はベンガルールと改称)からデリーへ、2008年8月に安倍晋三首相がデリーの後に旧都コルカタ(旧カルカッタ、西ベンガル州都)へ、また最近の2009年12月に鳩山由紀夫首相がインド経済の中心ムンバイ(旧マドラス、マハラシュトラ州都)からデリーを訪問しただけであった。
こうしてみると、ベンガル湾に面して、繁栄するアジアア太平洋地域への窓口でもあるチェンナイには、首相経験者は誰も訪れていなかったのである。
チェンナイを州都とするタミルナド州、ベンガル-ルを州都とするカルナタカ州、ハイデラバードを州都とするアンドラ・プラデシュ州、トリバンドラムを州都とするケララ州の南インド4州は、それぞれの地域色や伝統文化を色濃く残しながら、北インド以上に経済発展を加速しつつある。
(詳細は、2009年9月号の当協会機関紙『月刊インド』に掲載した筆者の記事をご参照乞う。このホームページから、アクセス可能)

森会長は、チェンナイにおいて、3月17日、タミルナド州を治めるカルナニディ州首相から私邸に招かれて会談したほか、前日の夜には、皆川一夫総領事の御取り計らいにより、総領事公邸に在留邦人をお招きいただき、交歓した。夫人方を含む在留邦人の皆さまは、インドに熱い思いを抱く気さくな森会長と意気投合し、和気あいあいの一夕を過ごした。

また、チェンナイには、現在170社に及ぶ日本企業が進出しているが、代表的で規模も大きいコマツ、東芝、日産をチェンナイ郊外に視察した。このうち、コマツは、すでに大型ダンプカーなどを生産・販売している。東芝は、インドの鉄鋼グループJSWと組み(東芝がマジョリティー)、大型の発電機やタービンを生産・販売することになっており、来年1月の操業開始に向けて工場建設中である。日産はルノーと提携して、コマツ工場と隣り合わせで、乗用車生産の操業を開始しようとしている。
たまたま滞在中の3月17日に、日産・ルノー工場の開所式があり、森会長は、カルナニディ州首相、スターリン州副首相兼工業大臣(「カ」州首相の息子で後継者)とともに、主賓として出席し、祝辞を述べた。開所式は、カルロス・ゴーン日産社長ほか日産・ルノーの関係者や社員、非常に多くの地元政府要人や議員など4千人以上の関係者が出席し、まことに盛大極まるものであった。それほど遠くないところに韓国の現代自動車の巨大工場があるが、年産40万台の規模を持つ日産・ルノー工場は見劣りがしないであろう。

時間を作って訪問したチェンナイ南にある世界遺産マハーバリプラムでは、多くのインド人観光客の中に積極的に入り込んで、話しかけたり写真を撮ったり、見学そっちのけの森会長であった。 

日印協会は、その活動をインド内に拡大するために、インド各地にある経済団体や友好団体との協力関係を構築する所存であるが、森会長のチェンナイ訪問を機に、20年の歴史を持つIndo-Japan Chamber of Commerce and Industry (印日商工会議所)、40年以上活動してきたABK-AOTS DOSOUKAI(アジア協会―技術者研修機構同窓会)と協力促進のための覚書を締結した。
(詳細は、当ホームページの関連記事をご参照乞う) 

3.デリーにおいて、マンモハン・シン首相と旧交を温める

3月18日、森会長は、デリーの首相公邸に、マンモハン・シン首相を訪れた。シン首相が「仕事場」である首相府の事務所でなく、私的な要素も加わった首相公邸を選んだのは、
森会長を「気の置けない友人」として迎えたいとの意向によるものであった。
筆者は、後述するように2月にデリーを訪問し、シン首相の側近№1の地位にあるシヴ・シャンカール・メノン国家安全保障補佐官を首相府に往訪し会談したが、その際に、森会長とシン首相との会談を申し入れた。多忙な首相は、(どこの国の首相も同じだが)国賓などを除けば普通は直前にならないとアポを決めないが、森会長は別格らしく、筆者の訪問後、数日を経ずして決まった。
会談には、日本側から、堂道秀明駐印大使、長谷川秘書と筆者が同席し、インド側はメノン補佐官等が同席した。
シン首相は、森会長と会うことが相当うれしいらしく、持ち前の穏やかで紳士的な態度の中にあふれるばかりの友情を発露させておられた。
シン首相は、森会長の画期的な2000年の訪印の際に打ち上げられた「日印グローバル・パートナーシップ」以来、日印関係は極めて良好に発展していることに満足の意を表され、森会長に感謝された。また、日本の長年にわたる対インド政府開発援助(ODA)がインド経済の発展に大きく寄与したとして謝意を表明された。さらに、現在、両国の間には、デリーとムンバイ間に建設予定の貨物新線(Dedicated Freight Corridor, DFC)と産業大動脈(Delhi-Mumbai Industrial Corridor, DMIC)という二つの旗艦プロジェクトが進んでいることを高く評価された。そのうえで、インド政府として、日本企業の対印投資を歓迎しており、必要なインフラ整備などに努力したいと、強調された。
森会長からは、2008年10月にシン首相が訪日した際に、安倍晋三・前首相(当時)とともに朝食会に招かれ、他方、日印協会が日印友好議連(当時は、中山太郎会長)と共催での歓迎会にシン首相が出席されたことを想起し、今回の歓迎に謝意を表明した。
森会長は、2000年の訪問で打ち上げた「日印グローバル・パートナーシップ」は、その後、「戦略的グローバル・パートナーシップ」に格上げされたが、本年は10周年を迎えるので、日印関係は、安全保障分野や経済分野などさらなる飛躍が期待される旨述べた。その上で、日印経済関係の促進のためには、日本企業のインド進出が貢献しているところ大であるとして、これを促進するために、電力や道路・港湾などのインフラ整備への期待を表明した。また、在留邦人から要望の多い、インドへの滞在ビザとくに商用・技術者用のビザが1年に限られていることの不便を指摘し、少なくても3年程度まで延長してもらいたいと要望した。シン首相は、うなずきながら、メノン補佐官たちに対し検討するよう指示された。

これに先立って、森会長は、堂道大使公邸にて、日本人会や日本商工会などの在留邦人代表170名程度との懇談会に臨み、自分が日印関係に関与した経緯や意図について、日本の当時の政局についての解説を交えながら、興味深い話を開陳した。その上で、在留邦人や本社の意向をそんたくしながら、日印関係の強化のために貢献するのが自分の情熱である旨を披歴し、拍手を浴びた。

その後、インドを代表する英字日刊紙「インディアン・エクスプレス」社を訪問し、チャンドラ・シェカール主幹や著名な外交記者ラジャ・モハン氏をはじめ、20人以上に及ぶ記者との間で、オンレコの懇談・インタビューを行った。森会長は、日印関係に掛ける熱意を強調しながら、日印関係の主要問題のみならず、中国、東アジア共同体、インドの国際的地位など、多方面にわたる質問に丁寧に答えた。また、かつてラガーであり、現在はラグビー協会の会長としての地位にいる観点から、ラグビーが紳士のスポーツであることなど具体的に、かつユーモアを交えて解説し、ラグビーの精神が人間の形成や国家間の関係にも大いに役立つことを強調し、記者連を感嘆させた。1時間以上に及ぶ集団インタビューは、終始笑いに包まれていた。
このインタビューは、通常のものと違い、日曜版に1ページ近くの大きな記事となるものであった。(記事が掲載されたら、ホームページにも、転載予定)

ニューデリーにおいては、3月18日夜から20日まで、ニューヨークのアジア協会が大きな会合を開くことになっており、18日夜の夕食会にはマンモハン・シン首相の基調演説も予定されていたので、森会長も顔をのぞかせる意向であった。しかし、シン首相は都合でキャンセルし、代理を指名されたプラナブ・ムカジー財務大臣も欠席されることになり、帰国便の都合もあり、残念ながら、アジア協会は割愛せざるを得なくなった。

4.日印協会の活動の活発化

以上が森会長のインド訪問の概要である。
日印協会は、活動の目的に、インドや日印関係についての調査、情報収集・分析・評価、人脈の構築によるアドバイス機能の強化などをあげており、そのためには、これまで以上に、インドの発展と日本のプレゼンスの実態をみる必要があると考えている。
そこで、森会長訪印に先立って、2月14日から18日まで筆者はムンバイとデリーを訪問し、3月7日から10日まで原 佑二常務理事がデリーを訪問した。
筆者は、デリーにおいては、首相府に旧知のメノン国家安全保障補佐官やサラン首相特使(原子力や地球温暖化問題担当)、工業省にクッラー工業次官を往訪したほか、Overseas Research FoundationやWorld Affairs Councilなどの研究機関を訪れ意見交換するとともに、日印協会との関係構築を約束しあった。
また、ムンバイにおいては、インドでもっとも由緒のあるインド商工会議所(103年の歴史を有し、107年の歴史を有する当協会といいとこ勝負である)との間で、協力のための覚書を締結した。(詳細は、当ホームページをご参照)また、インドの証券取引所の筆頭であるムンバイ証券取引所やタタとNTTドコモとの合弁企業を訪れた。証券取引所においては、カンナン社長などと懇談した。
持田多門・在ムンバイ総領事公邸にて、在留邦人やインド側の印日友好協会代表たちとも懇談し、今後の協力を誓い合った。

他方、原常務理事は、有力商社の元インド代表を務めた商社マンであるので、幅広く日印経済関係者と会談し、また、最近のデリー郊外における日本からの進出企業や援助プロジェクトを訪れ、日印協会活動の基礎となる情報を収集・分析し、また、人脈を拡大した。

                        (了)