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画期的なインド州議会選挙結果

2011年5月16日掲載


 2011年5月13日に開票されたインドの州議会選挙―西ベンガル州、タミルナド州、ケララ州、アッサム州、プドゥシェリ(旧名ポンディチェリ)連邦直轄地の4州、1直轄地―は、アッサム州以外では画期的な政権交代をもたらした。インドの国政にも大きな影響を与えるものであるので、結果報告とともに、とりあえずの評価を行っておきたい。

1.西ベンガル州
 同州は、1977年以来34年にわたってマルクス主義派共産党(CPI-M)が一貫して政権の座にあったが、今回の選挙では、トリナムール・コングレス(TMC、草の根国民会議派。コングレスから分派)に惨敗を喫し、政権の座を降りることになった。TMC党首のママータ・バナジー女史は、中央政府ではコングレスと連立(統一進歩連合、UPA)を組み、コングレス中心の連立政権を支える最大の政党であり、今回の州議会選挙でも議席をコングレスに譲る等協力関係を築いた。バナジー党首は、連邦鉄道大臣の要職にある。
 筆者が在インド日本大使時代は、バスCPI-M党首が25年にわたり西ベンガル州の州首相を務めており、その長期政権に驚いたものである。バス首相は、筆者の任期中に引退し、バッタチャルジー現党首が州首相になり、今日に至った。
 今回の州議会選挙では、前評判通り、CPI-Mを中心とした左派連合の惨敗となり、バッタチャルジー党首も落選した。TMCとコングレスの連合は、294議席中225議席を獲得したが、中でもTMCは圧勝した。なお、左派連合は63議席、うちCPI-Mの議席数は40であったが、これはコングレスの42議席にも及ばなかった。
 インド独立以前からインド政治と経済の中心であったコルカタ(旧名カルカッタ)は、共産党の支配下に長くあったため、1991年以降のインド経済の経済自由化・規制緩和の流れやグローバル化の波に乗れず、旧態依然とした経済運営であった。その結果、経済成長の恩恵を受けられなかったこともあり、インドでの地盤沈下が著しい。
 今回のCPI-Mの大敗は、西ベンガル州民のこのような不満が爆発したものと考えられる。
 バナジー女史は、極めて個性や主張の強いところがあるので、州政府を手中に収めてどのように采配を振るうか見ものである。
 西ベンガル州には、わが国から三菱化学が大きな投資を行っているほかは見るべき投資がなかったが、TMCの政権において、外国からの投資をどう扱うか、注目したい。バナジー党首は、数年前にタタ自動車が小型自動車ナノの生産工場を建設しようとした際に、土地の収用をめぐって農民の味方をし、結果としてインド最大の財閥タタを敵に回し、ナノの工場を州から追い出した経緯がある。
 なお、全国政党であり、コングレスのライバルであるインド人民党(BJP)は、この州では、議席を一つも取れなかった。

2.タミルナド州
 同州では、2004年以降政権の座にあったドラビダ進歩連盟(DMK)が、宿敵の全インド・ドラビダ進歩連盟(AIMDMK)により、惨敗を喫した。コングレスなどと組んだDMKの議席はたったの31議席であったのに対し、AIADMKは幾つかの地方政党と組んで234議席中203議席を獲得した。
 DMKの敗因としては、長くDMK党首で州首相を務めた87歳のカルナニディ氏が、息子のスターリン副首相への禅譲を期したり、親族縁戚を徴用したりするなどのネポティズム批判等で反発を受けたこと、また、ここ数カ月来、中央政府の通信大臣を務めたカルナニディ州首相の縁戚のラジャ氏が、第2世代携帯電話の電波割り当てについて巨大な汚職を行い国庫に多大の損害を与えたとして、マンモハン・シン首相から解任され、当局によって訴追もされる等、一大スキャンダルになっていたことが大きな理由となった。
 他方、AIADMK党首であり2004年までは州首相の座にもあったジャヤ・ジャヤラリータ女史は、復権のために、同州の地方政党であるDMDKや左派政党の候補者に一部議席を譲る等、彼女らしからぬ柔軟性を示したことが成功した。
 なお、BJPは、ここでも議席ゼロとなった。BJPは、1998年から中央政府の政権についた際、AIADMKを連立政権(国民民主連合、NDA)に迎えたが、途中でジャヤラリータ党首と諍いが起こり、AIADMKは中央では野党になった経緯がある。
 わが国企業の投資先として急速に重要性を増すチェンナイ(旧名マドラス)等を要するタミルナド州の政権が交代することになったことは、十分に注目すべきである。もっとも、DMKもAIADMKも、タミルナド州の地方政党であり、いわばタミルナド至上主義であるので、同州に投資してきた外国企業に対しても、今後投資を行おうとする外国企業に対しても、積極的な手を差し伸べるものと考える。

3.ケララ州
 ケララ州は、インドでも最も識字率も高く、貧困割合も低い州であるが、政権はこれまでコングレスとCPI-Mが交互に担ってきた。
 今回の州議会選挙では、コングレスと友党の連合(UDF)がCPI-Mとその友党連合(LDF)とで総議席数140を二分し、前者が72議席対68議席の僅差で勝った。この結果、これまで政権の座にあったCPI-Mは、ここでも政権を失うことになった。

4.アッサム州
 同州では、政権の座にあったコングレスが、タルン・ゴゴイ党首のもとで126議席中76議席を獲得し、大勝した。これは、アッサム独立のために武装闘争を行ってきたULFAとの和解プロセスを推進中であることが評価された一因であろう。
 長年の政敵であり、2度州政府を握ったAGPはたったの10議席しか獲得できず、チャンドラ・モハン・パトワリ党首自身も落選し、党存亡の危機に立たされることになった。
 また、ライバルのBJPは、たったの4議席しか獲得できなかった。

5.プドゥチェリ連邦直轄地
 ここでは、選挙の前にコングレスから分派した全インドNRコングレスが、17議席中15議席を獲得し、友党AIADMKの5議席などと併せて30議席中20議席を獲得した。コングレス自身は、7議席にとどまった。
 この結果、12年間続いたコングレスは政権を失うことになった。ここでも、ジャヤラリータ党首のAIADMKの影響力が増大することになる。

6.その他のコメント
(1)今回の選挙の結果、全国政党であるCPI-M他の左派は大きな後退を余儀なくされた。前回のインドの総選挙においても、左派は後退を余儀なくされたが、今回の大敗は、インド政治における左派の「終わりの始まり」を示すものかもしれない。
 この結果、CPI-Mが政権の座にあるのは、北東インドのトリプラ州ただ一つとなった。インドにとって極めて重要な西ベンガル州での画期的な敗北と併せて考えると、グローバル化の波の中で成長し新興国として重きをおかれつつあるインドの国民から、左派のイデオロギーや官主導・労組重視の経済運営は時代に合わなくなったというメッセージを突き付けられたのかもしれない。
(2)全国政党であるBJPは、ヒンズーベルトと称する北インドでは地盤があるが、南インド(除く、カルナタカ州)や東インドではなかなか浸透ができないできた。今回も、西ベンガル州やタミルナド州で議席を全く獲得できず、2007年以来の雌伏を余儀なくされている。
(3)今回の州議会選挙の結果、西ベンガル州とタミルナド州は、それぞれママータ・バナジー及びジャヤ・ジャヤラリータという二人の女性政治家が州政府の政権を奪取したことになる。現在まで、人口が最大の州であるウッタル・プラデシュ州と首都を要するデリー準州は、それぞれマヤワティ及びシェイラ・ディクシットの二人の女性州首相が政権の座にあるので、今回の選挙の結果、インドで最重要の4州の政権を女性政治家が担うことになった。
 タイムズ・オブ・インディア紙によると、人口12億1千万人強(2011年国勢調査結果。詳細は、日印協会季刊誌「現代インド・フォーラム」2011年春季号参照)のうち、4州の人口は3億6800万人であり、インドの総人口のうち30%が女性の州首相の政権のもとに置かれることになったわけである。

                             (了)