2014年5月29日
公益財団法人日印協会
代表理事・理事長 平林 博 記
インドでは、本年4月から5月にかけて行われた9回に分けた下院総選挙も結果、野党第1党であったインド人民党(BJP)が単独過半数の議席を取り圧勝した。
さっそく5月26日、ムカジー大統領による宣誓式で首相に就任したナレンドラ・モディ氏(前グジャラート州首相)は、組閣を行った。
BJPは、下院では単独過半数を取ったが、上院ではそうではなく友党の支援が必要である。この為、かつてのバジパイ政権と同様、BJPが中心となった国民民主連合(National Democratic Alliance)を組んだため、閣僚には連立のパートナー諸政党からの起用も行った。
閣僚名簿は、本ページ左記の「日印関係最新情報」のコラムの「モディ氏 就任宣言」の「プロフィールはこちら」をクリックしてご覧いただきたい。
閣内大臣(Cabinet Minister, 閣議に出席)は23人、閣外大臣(Minister of State)で独自の所掌と権限をもつものは10人、閣内大臣の下で権限を分掌する閣外大臣12人で、計45人の内閣である。前のマンモハン・シン内閣に比して半減近くの規模である。
1.モディ首相は、経済成長路線重視で知られ、グジャラート州においては内外からの投資優先策をとって、経済の成長を加速させることに成功した。
また、モディ首相は親日家としても知られており、Vibrant Gujarat と称する一代経済イベントでは日本をパートナー・カントリーとして特別扱いしたことも1度ならずあった。
他方、モディ首相は熱心な(批判者によっては過激な)ヒンズー教徒として知られ、2002年、ヒンズー教徒とイスラム教徒が反目を高めた際に、ヒンズー教徒がイスラム教徒を多数殺害した事件において黙認した、ないしは効果的な措置を取らなかったと批判されてきた。このため、欧米諸国の一部は、モディ州首相に対し入国ビザを出さないという措置を取ったところもある。米英などは、モディ首相誕生が確実になると、急遽関係を修復するようになった。
駐インド大使時代(1998~2002年)の筆者の経験では、モディ氏は極めて熱心なヒンズー教徒であるが、きわめて清廉潔白な政治家である。
モディ首相は、閣僚や各省幹部に対し、早速、政府調達は親族に対して行ってはならず、またネポティズム(一族郎党を官庁幹部に起用すること)を禁ずるとの指示を出した。
2.BJPは圧勝したが、世代交代も印象付けた。バジパイ元首相はかねてから体調がすぐれないが、もう一人の長老であったL.K.Advani氏は、今回閣僚としては起用しなかった。M.M.Joshi氏(筆者の頃は人的資源大臣等を歴任)、Yashuwant Singh氏(同じく大蔵大臣)、Jaswant Singh氏(同じく外務大臣)等の長老も閣内には起用されなかった。
他方、BJPの上院議員団長であったSushma Swaraj女史は外務大臣、落選したもののBJPのホープであったArun Jaitley氏, 前のBJP党首であったRaj Nath Singh氏は、それぞれ財務・国防・企業大臣、内務大臣の重職に起用された。
インドにおいては、大統領府の前のRaj Path(王の道)の左右の一角がNorth Block, South Blockに分かれて政府中枢をなしている。ノース・ブロックには財務省と内務省、サウス・ブロックには首相府、外務省、国防省があり、これらの官庁が政府の最重要機関である。他の官庁は、Raj Path(王の道)をインド門方向に辿った南北に点在している。
3.今回の組閣で人目を引いたのは、外務大臣である。スシュマ・スワラジ外務大臣は、BJPの女性政治家リーダーであり、ソニア・ガンジー国民会議派総裁、ジャヤ・ジャヤラリータAIADMK党首(タミルナド州首相)、ママタ・バナジーTMC党首(トリナムール国民会議派)等と並ぶインドの代表的女性政治家である。
なおスワラジ氏は、筆者が駐インド大使であった頃は通信大臣等を務めていたが、毎年12月の天皇誕生日レセプションには副大統領とともに日本大使公邸に来ていただいた親日家である。
今回の人事により、インド外務省は大臣及び次官(スジャータ・シン氏)ともに女性となり、画期的なことである。
4.アルン・ジャイットリー氏が財務大臣、国防大臣の2大重職(他に企業担当相も兼任)を兼ねるが、筆者がインドの要人から聞いたところでは、モディ首相が国防大臣として起用しようとした者がこれを固辞したため、とりあえずジャイトリー大臣に兼任させた由である。いずれ、国防大臣が任命されよう。
5.連立諸党からは、下記の4人が閣内大臣となった。
・Ramvilas Paswan 消費者、食糧、公的分配担当大臣
(ビハール州の地域政党である「人民の力」党出身)
・Ashok Gajapathi Raju Pusapati 民間航空大臣
(アンドラ・プラデシュ州の地域政党TDP出身)
・Anant Geete 重工業・公営企業大臣
(マハラシュトラ州の地方政党であり、ヒンズー至上主義のShiv Sena,出身)
・Harsimrat Kaur Badar食品加工大臣
(パンジャブ州の地域政党であるシロマニ・アカリ・ダル党出身)
6.なお、今回の総選挙では歴史あるインド国民会議派が惨敗したが、このほかにインドの全国政党の一つ共産党(西ベンガル州とケララ州)、地方で有力な政党である大衆社会党(UP州)、ジャナータ・ダル(ビハール州)、DMK(タミルナド州)等も惨敗し、それぞれの地域における政治的地位を大きく減退させた。
この結果、インドの国会においては、下院ではBJPが過半数を取ったが、上院ではそうではなく、わが国の国会事情と似た現象になっている。
7.安倍総理とモディ首相とは、ウマが合うようである。安倍総理は、今年中にモディ首相が訪日するよう招請した。
また、安倍総理が電話によってモディ首相に祝意を表した際、モディ首相は、「日印協会の森喜朗会長とは、(モディとモリという)同じような姓をもっており、親近感を覚えている。できるだけ早くお会いしたい」、との伝言があった。筆者はインド総選挙後の情勢の収集と要人との会談のために訪印を計画しているが、この機会に、森会長の親書をモディ首相にお渡しすることになろう。
公益財団法人日印協会
代表理事・理事長 平林 博 記
インドでは、本年4月から5月にかけて行われた9回に分けた下院総選挙も結果、野党第1党であったインド人民党(BJP)が単独過半数の議席を取り圧勝した。
さっそく5月26日、ムカジー大統領による宣誓式で首相に就任したナレンドラ・モディ氏(前グジャラート州首相)は、組閣を行った。
BJPは、下院では単独過半数を取ったが、上院ではそうではなく友党の支援が必要である。この為、かつてのバジパイ政権と同様、BJPが中心となった国民民主連合(National Democratic Alliance)を組んだため、閣僚には連立のパートナー諸政党からの起用も行った。
閣僚名簿は、本ページ左記の「日印関係最新情報」のコラムの「モディ氏 就任宣言」の「プロフィールはこちら」をクリックしてご覧いただきたい。
閣内大臣(Cabinet Minister, 閣議に出席)は23人、閣外大臣(Minister of State)で独自の所掌と権限をもつものは10人、閣内大臣の下で権限を分掌する閣外大臣12人で、計45人の内閣である。前のマンモハン・シン内閣に比して半減近くの規模である。
1.モディ首相は、経済成長路線重視で知られ、グジャラート州においては内外からの投資優先策をとって、経済の成長を加速させることに成功した。
また、モディ首相は親日家としても知られており、Vibrant Gujarat と称する一代経済イベントでは日本をパートナー・カントリーとして特別扱いしたことも1度ならずあった。
他方、モディ首相は熱心な(批判者によっては過激な)ヒンズー教徒として知られ、2002年、ヒンズー教徒とイスラム教徒が反目を高めた際に、ヒンズー教徒がイスラム教徒を多数殺害した事件において黙認した、ないしは効果的な措置を取らなかったと批判されてきた。このため、欧米諸国の一部は、モディ州首相に対し入国ビザを出さないという措置を取ったところもある。米英などは、モディ首相誕生が確実になると、急遽関係を修復するようになった。
駐インド大使時代(1998~2002年)の筆者の経験では、モディ氏は極めて熱心なヒンズー教徒であるが、きわめて清廉潔白な政治家である。
モディ首相は、閣僚や各省幹部に対し、早速、政府調達は親族に対して行ってはならず、またネポティズム(一族郎党を官庁幹部に起用すること)を禁ずるとの指示を出した。
2.BJPは圧勝したが、世代交代も印象付けた。バジパイ元首相はかねてから体調がすぐれないが、もう一人の長老であったL.K.Advani氏は、今回閣僚としては起用しなかった。M.M.Joshi氏(筆者の頃は人的資源大臣等を歴任)、Yashuwant Singh氏(同じく大蔵大臣)、Jaswant Singh氏(同じく外務大臣)等の長老も閣内には起用されなかった。
他方、BJPの上院議員団長であったSushma Swaraj女史は外務大臣、落選したもののBJPのホープであったArun Jaitley氏, 前のBJP党首であったRaj Nath Singh氏は、それぞれ財務・国防・企業大臣、内務大臣の重職に起用された。
インドにおいては、大統領府の前のRaj Path(王の道)の左右の一角がNorth Block, South Blockに分かれて政府中枢をなしている。ノース・ブロックには財務省と内務省、サウス・ブロックには首相府、外務省、国防省があり、これらの官庁が政府の最重要機関である。他の官庁は、Raj Path(王の道)をインド門方向に辿った南北に点在している。
3.今回の組閣で人目を引いたのは、外務大臣である。スシュマ・スワラジ外務大臣は、BJPの女性政治家リーダーであり、ソニア・ガンジー国民会議派総裁、ジャヤ・ジャヤラリータAIADMK党首(タミルナド州首相)、ママタ・バナジーTMC党首(トリナムール国民会議派)等と並ぶインドの代表的女性政治家である。
なおスワラジ氏は、筆者が駐インド大使であった頃は通信大臣等を務めていたが、毎年12月の天皇誕生日レセプションには副大統領とともに日本大使公邸に来ていただいた親日家である。
今回の人事により、インド外務省は大臣及び次官(スジャータ・シン氏)ともに女性となり、画期的なことである。
4.アルン・ジャイットリー氏が財務大臣、国防大臣の2大重職(他に企業担当相も兼任)を兼ねるが、筆者がインドの要人から聞いたところでは、モディ首相が国防大臣として起用しようとした者がこれを固辞したため、とりあえずジャイトリー大臣に兼任させた由である。いずれ、国防大臣が任命されよう。
5.連立諸党からは、下記の4人が閣内大臣となった。
・Ramvilas Paswan 消費者、食糧、公的分配担当大臣
(ビハール州の地域政党である「人民の力」党出身)
・Ashok Gajapathi Raju Pusapati 民間航空大臣
(アンドラ・プラデシュ州の地域政党TDP出身)
・Anant Geete 重工業・公営企業大臣
(マハラシュトラ州の地方政党であり、ヒンズー至上主義のShiv Sena,出身)
・Harsimrat Kaur Badar食品加工大臣
(パンジャブ州の地域政党であるシロマニ・アカリ・ダル党出身)
6.なお、今回の総選挙では歴史あるインド国民会議派が惨敗したが、このほかにインドの全国政党の一つ共産党(西ベンガル州とケララ州)、地方で有力な政党である大衆社会党(UP州)、ジャナータ・ダル(ビハール州)、DMK(タミルナド州)等も惨敗し、それぞれの地域における政治的地位を大きく減退させた。
この結果、インドの国会においては、下院ではBJPが過半数を取ったが、上院ではそうではなく、わが国の国会事情と似た現象になっている。
7.安倍総理とモディ首相とは、ウマが合うようである。安倍総理は、今年中にモディ首相が訪日するよう招請した。
また、安倍総理が電話によってモディ首相に祝意を表した際、モディ首相は、「日印協会の森喜朗会長とは、(モディとモリという)同じような姓をもっており、親近感を覚えている。できるだけ早くお会いしたい」、との伝言があった。筆者はインド総選挙後の情勢の収集と要人との会談のために訪印を計画しているが、この機会に、森会長の親書をモディ首相にお渡しすることになろう。