Ⅰ.内政
4月15日
*各紙報道によれば、15日、旧ジャナタ党(注: インディラ・ガンディー率いるコングレス党に対抗して結成されたジャナタ党(1977年結成)及びジャナタ・ダル(1988年結成)。89~91年及び96~98年に成立した連立政権で首相を輩出するも、90年代初頭より党の分裂が頻発し、その後消滅)の流れを組む地域政党のうち、社会主義党(SP)、ジャナタ・ダル統一派(JD(U))、民族ジャナタ・ダル(RJD)、ジャナタ・ダル世俗派(JD(S))、インド民族ローク・ダル(INLD)、社会主義人民党(SJP)の6政党が合併し、新党を結成することを発表。新党党首には、ムラヤム・シン・ヤダブSP党首が就任。新党名は未発表であるが、これらの政党が旧ジャナタ党から派生した勢力であるため、国内メディアは、同党を「ジャナタ・パリヴァール(注: ジャナタ・ファミリーの意味)」と報道。同党は、連邦上院で30議席を有し、コングレス党(68議席)、BJP(47議席)に次いで第3党となる(連邦下院では15議席を有し、第8党)。
4月20日
*予算国会の休会が開け、20日より後半の会期が開始された(下院は5月8日まで、上院は5月13日まで開会の予定)。
*各種報道によれば、庶民党(AAP)は、20日、同党の創設メンバーで全国幹部のヨゲンドラ・ヤダヴ、プラシャント・ブシャン、およびアナンド・クマール、アジット・ジャの4名を、反党活動や行動規範への違反を理由として党から除名したことを発表。
Ⅱ.経済
4月29日
*各種報道及び内閣官房発表によれば、29日、モディ内閣は、スマート・シティ構想に約1兆ルピーを今後5年間で投じていく旨を閣議決定した。
Ⅲ.外交
4月3日
*同党発表によれば、3日、インド人民党(BJP)は、ベンガルールで開催した全国幹部会議において、外交政策決議を採択した。
4月10日-11日
*各紙報道及び政府発表によれば、モディ首相は、10日から11日までフランスを訪問した。
4月12日-14日
*各紙報道及び政府発表によれば、モディ首相は、12日から14日までドイツを訪問した。
4月12日-15日
*各紙報道等によれば、12日から15日、ビショップ豪外相が訪印し、14日、スワラージ外相との間で第10回印豪外相枠組対話を行った。双方は、ウラン流通促進のための原子力協力の手続き等につき協議した。ビショップ外相は、パリカル国防相、ジャイトリー財務相、シャルマ文化相、バラティ水資源相とも会談した。
4月15日-16日
*各紙報道及び政府発表によれば、モディ首相は、15日から16日までカナダを訪問した。インド首相によるカナダ訪問は42年ぶり。
4月15日-18日
*各紙報道によれば、15日から18日、パリカル国防大臣は、韓国を訪問し、韓民求国防大臣、崔潤喜合同参謀本部議長、金寛鎮国家安全保障室長らと会談した。国防大臣会議では、防衛産業における両国の協力について集中的に協議された。
4月23日
*23日、インド外務省発表によれば、インド政府はASEAN代表部を開所した。ジャカルタでの同開所式においてスワラージ外相がスピーチを行った。
4月26日-28日
*各紙報道によれば、26日から28日にかけて、マルガージョ・スペイン外務大臣が訪印し、モディ首相やスワラージ外相らと会談を行った。
4月27日-29日
*各紙報道によれば、27日から29日にかけて、ガーニ・アフガニスタン大統領が訪印し、ムカジー大統領やモディ首相らと会談を行った。
4月25日-30日
*各種報道によれば、25日、ネパールを震源とするM7.8の地震が発生した。インド国内でも、ネパールと国境を接する各州で被害が出た(27日インド内務省発表によれば、死者は72名、負傷者は296名)。
*25日、モディ首相は、ネパール大統領及び首相に被害に対応するためのあらゆる支援を約束し、また、閣僚級の対策会議を実施し、救助チーム及び医療チームの派遣を指示した。26日、フォローアップ会合を開催し、空路に加えて陸路での被災地への食糧・水の供給、国家災害対応部隊の立ち上げと共に、被災者遺族に対して首相国家救援基金から20万ルピー、国家災害救援基金から40万ルピー、重篤な傷害に対しては5万ルピーの補償金を発表。また、内務省は、ネパールからインドに入国する全ての観光客に対して無料でビザを発給する旨発表。モディ首相は、27日には3度目の本件フォローアップ会議を開催した。
Ⅳ. 日印関係
4月6日
*外務省発表によれば、6日、インドのデリーにおいて日・インド次官級「2+2」対話が開催された。
4月27日-5月1日
*経産省発表によれば、宮沢経済産業大臣は、27日から5月1日の日程で、25社の同行企業代表達とともに訪印し、モディ首相を表敬した他、シタラマン商工大臣等と会談した。
4月15日
*各紙報道によれば、15日、旧ジャナタ党(注: インディラ・ガンディー率いるコングレス党に対抗して結成されたジャナタ党(1977年結成)及びジャナタ・ダル(1988年結成)。89~91年及び96~98年に成立した連立政権で首相を輩出するも、90年代初頭より党の分裂が頻発し、その後消滅)の流れを組む地域政党のうち、社会主義党(SP)、ジャナタ・ダル統一派(JD(U))、民族ジャナタ・ダル(RJD)、ジャナタ・ダル世俗派(JD(S))、インド民族ローク・ダル(INLD)、社会主義人民党(SJP)の6政党が合併し、新党を結成することを発表。新党党首には、ムラヤム・シン・ヤダブSP党首が就任。新党名は未発表であるが、これらの政党が旧ジャナタ党から派生した勢力であるため、国内メディアは、同党を「ジャナタ・パリヴァール(注: ジャナタ・ファミリーの意味)」と報道。同党は、連邦上院で30議席を有し、コングレス党(68議席)、BJP(47議席)に次いで第3党となる(連邦下院では15議席を有し、第8党)。
4月20日
*予算国会の休会が開け、20日より後半の会期が開始された(下院は5月8日まで、上院は5月13日まで開会の予定)。
*各種報道によれば、庶民党(AAP)は、20日、同党の創設メンバーで全国幹部のヨゲンドラ・ヤダヴ、プラシャント・ブシャン、およびアナンド・クマール、アジット・ジャの4名を、反党活動や行動規範への違反を理由として党から除名したことを発表。
Ⅱ.経済
4月29日
*各種報道及び内閣官房発表によれば、29日、モディ内閣は、スマート・シティ構想に約1兆ルピーを今後5年間で投じていく旨を閣議決定した。
Ⅲ.外交
4月3日
*同党発表によれば、3日、インド人民党(BJP)は、ベンガルールで開催した全国幹部会議において、外交政策決議を採択した。
4月10日-11日
*各紙報道及び政府発表によれば、モディ首相は、10日から11日までフランスを訪問した。
4月12日-14日
*各紙報道及び政府発表によれば、モディ首相は、12日から14日までドイツを訪問した。
4月12日-15日
*各紙報道等によれば、12日から15日、ビショップ豪外相が訪印し、14日、スワラージ外相との間で第10回印豪外相枠組対話を行った。双方は、ウラン流通促進のための原子力協力の手続き等につき協議した。ビショップ外相は、パリカル国防相、ジャイトリー財務相、シャルマ文化相、バラティ水資源相とも会談した。
4月15日-16日
*各紙報道及び政府発表によれば、モディ首相は、15日から16日までカナダを訪問した。インド首相によるカナダ訪問は42年ぶり。
4月15日-18日
*各紙報道によれば、15日から18日、パリカル国防大臣は、韓国を訪問し、韓民求国防大臣、崔潤喜合同参謀本部議長、金寛鎮国家安全保障室長らと会談した。国防大臣会議では、防衛産業における両国の協力について集中的に協議された。
4月23日
*23日、インド外務省発表によれば、インド政府はASEAN代表部を開所した。ジャカルタでの同開所式においてスワラージ外相がスピーチを行った。
4月26日-28日
*各紙報道によれば、26日から28日にかけて、マルガージョ・スペイン外務大臣が訪印し、モディ首相やスワラージ外相らと会談を行った。
4月27日-29日
*各紙報道によれば、27日から29日にかけて、ガーニ・アフガニスタン大統領が訪印し、ムカジー大統領やモディ首相らと会談を行った。
4月25日-30日
*各種報道によれば、25日、ネパールを震源とするM7.8の地震が発生した。インド国内でも、ネパールと国境を接する各州で被害が出た(27日インド内務省発表によれば、死者は72名、負傷者は296名)。
*25日、モディ首相は、ネパール大統領及び首相に被害に対応するためのあらゆる支援を約束し、また、閣僚級の対策会議を実施し、救助チーム及び医療チームの派遣を指示した。26日、フォローアップ会合を開催し、空路に加えて陸路での被災地への食糧・水の供給、国家災害対応部隊の立ち上げと共に、被災者遺族に対して首相国家救援基金から20万ルピー、国家災害救援基金から40万ルピー、重篤な傷害に対しては5万ルピーの補償金を発表。また、内務省は、ネパールからインドに入国する全ての観光客に対して無料でビザを発給する旨発表。モディ首相は、27日には3度目の本件フォローアップ会議を開催した。
Ⅳ. 日印関係
4月6日
*外務省発表によれば、6日、インドのデリーにおいて日・インド次官級「2+2」対話が開催された。
4月27日-5月1日
*経産省発表によれば、宮沢経済産業大臣は、27日から5月1日の日程で、25社の同行企業代表達とともに訪印し、モディ首相を表敬した他、シタラマン商工大臣等と会談した。