公益財団法人日印協会代表理事・理事長
平林 博 記
野田佳彦首相は、去る12月27日および28日、インドのニューデリーを訪問した。国賓としての訪問であった。
日本経団連の米倉弘昌会長、同副会長の西田厚聰・東芝会長、川村 隆・日立製作所会長、小島順彦・三菱商事会長、奥 正之・三井住友フィナンシャルグループ会長、宮原耕治・日本郵船会長、大宮英明・三菱重工業社長、南アジア委員会委員長の庄田 隆・第一三共会長等の錚々たる財界人が同行した。
野田首相のあわただしい年末の訪問は、日印戦略的グローバル・パートナーシップの精神に基づき、首相は毎年交互に相手国を訪問するとの約束があるからである。一昨年10月には、マンモハン・シン首相が訪日している。野田首相は、訪中に続き、また国内での「税と社会保障の一体改革」の議論などで多忙な中ではあったが、インドとの約束を果たしたことになる。また、本年が日印60周年の節目になるので、その前に行っておこうとの配慮があったものと推測する。
野田首相は、28日には、マンモハン・シン首相との会談を行ったほか、アンサリ副大統領及びクリシュナ外務大臣と会談した。また、インド側経済団体と日本側財界人との間で開催された日印ビジネス・サミット・リーダーズ・フォーラムに出席した。さらに、インド世界問題評議会(Indian Council of World affairs)において講演した。
首脳会談の後、両首相は、「国交樹立60周年を迎える日印戦略的パートナーシップ強化に向けたビジョン」と題する共同声明を発出した。
共同声明については、外務省ホームページを参照願いたい。
共同宣言の中では、すでに実施済みの計画等が言及されているが、筆者が新たなイニシャティブとして注目すべきと考える点は次のとおりである。
1.閣僚級経済対話の早期開催
これはすでに決定済みのことであるが、実施するためには、双方から経済閣僚が数名ずつ出席しなければならず、かなり日程調整に苦労するものである。かつて、わが国は、米国や韓国などと同種の閣僚会合を持っていたが、関係経済閣僚を相当数動員しなければならないので、自然に廃止された経緯がある。インドとの間で敢えてこれを実施しようとするところに、日印双方の意気込みが感じられる。
2.デリー・ムンバイ貨物専用鉄道建設計画(DFC)の促進
両首相は、DFCの西回廊(デリー・ムンバイ間)の早期実現を重視し、早期事業開始に合意した。野田首相は、日本企業の参画と協力への期待を強調した。
3.DMICへの資金協力
デリー・ムンバイ産業大動脈構想(DMIC)は、すでに日印双方からの90億ドルの出資でファシリティ(基金)のために、野田首相は、インド側が1,750億ルピーの基金を立ち上げたことに留意し、日本が総額45億ドル規模の資金供与を行うことを表明した。
4.南インドへのインフラ整備協力
ますます多くの日本企業が直接投資を行っているチェンナイ・バンガロール間の地域に向けたインフラ整備の重要性を強調し、包括的な統合マスタープランの作成に協力することになった。
とりあえずは、東芝、日産、コマツ等の日本の現地工場が熱望しているチャンナイ周辺の道路、橋梁等のインフラ整備を急ぐことになる。インド政府や日本側は、タミルナド州政府との接触を強化しており、インドの中央政府と州政府との協力と日本側の援助により、投資環境が整備されることを期待したい。
5.通貨スワップ取り決めの拡大
すでに発足済みの日印通貨スワップ取り決めを従来の30億米ドルから150億米ドルへと5倍に拡大する。これにより、欧州のソブリン・リスク等による通貨の引き上げがあっても、インドが抵抗力を増すことになる。
これはあたかも、1991年のインドの外貨危機に際し、わが国が緊急外貨融資を行い、インドの危機を救ったことを想起させるものである。なお、1991年の外貨危機においては、当時のマンモハン・シン財務大臣が訪日して支援取り付けにあたったが、今回のわが国の対印協力は、筆者のように当時を知る者にとっては、1991年当時のことを想起させるものである。
6.日印原子力協力協定の交渉再開
日印原子力協力協定交渉は、3回の交渉の後福島第1原発事故のために中断していたが、両首相は、「原子力安全を含む関心事項に適切な考慮を払いつつ、交渉者に対し妥結に向けた一層の努力を指示」した。これは、交渉再開を示唆するものであり、日印の関係者が待ち望んでいたのみならず、日本の技術や資材を活用しながらインドへの原発輸出を習っている諸外国も期待していたことである。
7.レアアース及びレアメタルでの日印協力
レアアース及びレアメタルについて、両国企業の生産・輸出に関わる協力強化を決定した。これは、昨年以来、最大の生産国である中国が輸出制限を行う等の問題ある対応を行ってきたことに対する一つの答えである。
8.ナーランダ大学再興への協力
北インドのビハール州のナーランダは、かつて中世の時代に仏教の研究教育や布教の中心として栄えた大学があった。唐の玄奘も訪れて研究にいそしみ、仏典を中国に持ち帰ったいわれのあるところである。インド政府の呼び掛けにより、仏教の盛んな15の国々が国際大学としてのナーランダ大学の再興に協力を約束しているが、今般、野田首相は、わが国からの学術交流や人材育成など具体的貢献を行う意図を正式に表明したわけである。
9.海洋の安全保障の再確認
両首相は、「アジアの海洋国として、海洋に関する国際法諸原則等へのコミットメントを改めて確認するとともに、航行の安全及び自由を含む海上安全保障分野での協力拡大を確認」した。日印両国は、東シナ海及びインド洋への中国の膨張傾向を憂慮しているので、昨年11月の東アジア首脳会議で謳われた原則を、あらためて確認、強調したものである。
(了)
平林 博 記
野田佳彦首相は、去る12月27日および28日、インドのニューデリーを訪問した。国賓としての訪問であった。
日本経団連の米倉弘昌会長、同副会長の西田厚聰・東芝会長、川村 隆・日立製作所会長、小島順彦・三菱商事会長、奥 正之・三井住友フィナンシャルグループ会長、宮原耕治・日本郵船会長、大宮英明・三菱重工業社長、南アジア委員会委員長の庄田 隆・第一三共会長等の錚々たる財界人が同行した。
野田首相のあわただしい年末の訪問は、日印戦略的グローバル・パートナーシップの精神に基づき、首相は毎年交互に相手国を訪問するとの約束があるからである。一昨年10月には、マンモハン・シン首相が訪日している。野田首相は、訪中に続き、また国内での「税と社会保障の一体改革」の議論などで多忙な中ではあったが、インドとの約束を果たしたことになる。また、本年が日印60周年の節目になるので、その前に行っておこうとの配慮があったものと推測する。
野田首相は、28日には、マンモハン・シン首相との会談を行ったほか、アンサリ副大統領及びクリシュナ外務大臣と会談した。また、インド側経済団体と日本側財界人との間で開催された日印ビジネス・サミット・リーダーズ・フォーラムに出席した。さらに、インド世界問題評議会(Indian Council of World affairs)において講演した。
首脳会談の後、両首相は、「国交樹立60周年を迎える日印戦略的パートナーシップ強化に向けたビジョン」と題する共同声明を発出した。
共同声明については、外務省ホームページを参照願いたい。
共同宣言の中では、すでに実施済みの計画等が言及されているが、筆者が新たなイニシャティブとして注目すべきと考える点は次のとおりである。
1.閣僚級経済対話の早期開催
これはすでに決定済みのことであるが、実施するためには、双方から経済閣僚が数名ずつ出席しなければならず、かなり日程調整に苦労するものである。かつて、わが国は、米国や韓国などと同種の閣僚会合を持っていたが、関係経済閣僚を相当数動員しなければならないので、自然に廃止された経緯がある。インドとの間で敢えてこれを実施しようとするところに、日印双方の意気込みが感じられる。
2.デリー・ムンバイ貨物専用鉄道建設計画(DFC)の促進
両首相は、DFCの西回廊(デリー・ムンバイ間)の早期実現を重視し、早期事業開始に合意した。野田首相は、日本企業の参画と協力への期待を強調した。
3.DMICへの資金協力
デリー・ムンバイ産業大動脈構想(DMIC)は、すでに日印双方からの90億ドルの出資でファシリティ(基金)のために、野田首相は、インド側が1,750億ルピーの基金を立ち上げたことに留意し、日本が総額45億ドル規模の資金供与を行うことを表明した。
4.南インドへのインフラ整備協力
ますます多くの日本企業が直接投資を行っているチェンナイ・バンガロール間の地域に向けたインフラ整備の重要性を強調し、包括的な統合マスタープランの作成に協力することになった。
とりあえずは、東芝、日産、コマツ等の日本の現地工場が熱望しているチャンナイ周辺の道路、橋梁等のインフラ整備を急ぐことになる。インド政府や日本側は、タミルナド州政府との接触を強化しており、インドの中央政府と州政府との協力と日本側の援助により、投資環境が整備されることを期待したい。
5.通貨スワップ取り決めの拡大
すでに発足済みの日印通貨スワップ取り決めを従来の30億米ドルから150億米ドルへと5倍に拡大する。これにより、欧州のソブリン・リスク等による通貨の引き上げがあっても、インドが抵抗力を増すことになる。
これはあたかも、1991年のインドの外貨危機に際し、わが国が緊急外貨融資を行い、インドの危機を救ったことを想起させるものである。なお、1991年の外貨危機においては、当時のマンモハン・シン財務大臣が訪日して支援取り付けにあたったが、今回のわが国の対印協力は、筆者のように当時を知る者にとっては、1991年当時のことを想起させるものである。
6.日印原子力協力協定の交渉再開
日印原子力協力協定交渉は、3回の交渉の後福島第1原発事故のために中断していたが、両首相は、「原子力安全を含む関心事項に適切な考慮を払いつつ、交渉者に対し妥結に向けた一層の努力を指示」した。これは、交渉再開を示唆するものであり、日印の関係者が待ち望んでいたのみならず、日本の技術や資材を活用しながらインドへの原発輸出を習っている諸外国も期待していたことである。
7.レアアース及びレアメタルでの日印協力
レアアース及びレアメタルについて、両国企業の生産・輸出に関わる協力強化を決定した。これは、昨年以来、最大の生産国である中国が輸出制限を行う等の問題ある対応を行ってきたことに対する一つの答えである。
8.ナーランダ大学再興への協力
北インドのビハール州のナーランダは、かつて中世の時代に仏教の研究教育や布教の中心として栄えた大学があった。唐の玄奘も訪れて研究にいそしみ、仏典を中国に持ち帰ったいわれのあるところである。インド政府の呼び掛けにより、仏教の盛んな15の国々が国際大学としてのナーランダ大学の再興に協力を約束しているが、今般、野田首相は、わが国からの学術交流や人材育成など具体的貢献を行う意図を正式に表明したわけである。
9.海洋の安全保障の再確認
両首相は、「アジアの海洋国として、海洋に関する国際法諸原則等へのコミットメントを改めて確認するとともに、航行の安全及び自由を含む海上安全保障分野での協力拡大を確認」した。日印両国は、東シナ海及びインド洋への中国の膨張傾向を憂慮しているので、昨年11月の東アジア首脳会議で謳われた原則を、あらためて確認、強調したものである。
(了)