核兵器不拡散条約(NPT)非加盟のインドとの原子力協力(対印原子力輸出)問題については、依然として国内(特に広島、長崎)に根強い反対論が燻っているが、日本政府は、鳩山前政権下で、総合的、戦略的判断に基づき、ようやく腹を決め、6月末に東京で日印原子力協定の締結交渉開始に踏み切った。続いて第2回交渉が10月半ばニューデリーで行なわれた。
さらに、10月24日来日したマンモハン・シン印首相と菅直人首相の間で協定交渉の促進方が合意された。両国の関係業界(原子炉メーカー、電力など)の期待も大いに高まっている。過去30余年間、各方面の執拗な反対論の中で、事実上唯一人、一貫して日印原子力関係の促進を提唱してきた筆者としては、まさに同慶の至りではある。
しかし、交渉の実態を仔細に観察すると、決して手放しで喜ぶことはできない。インド側はともかく、日本側においては、原子力業界でさえも、原子力外交の難しさを一向に理解しておらず、協定交渉の具体的な問題点についての理解が恐ろしく欠如しているからである。政府の説明も相変わらず甚だ不十分である。
よって、ここでは、問題点の中で最も重要で、かつ最も厄介なものを1点だけ解説しておく。(ご参考までに、筆者は外交官として長年原子力外交を担当し、外務省初代原子力課長も務めた。インドとは、1974年のインドの第1回核実験直後から個人的に深く関わっている。)
◇ ◇
さる8月下旬に別件で訪印した岡田外務大臣(当時)はニューデリーでの記者会見で、「仮に将来インドが核実験を実施したら、対印原子力協力を停止せざるを得ないだろう」と明言したと伝えられた。インドのマスコミが一番気にしていた点で、当然大きく報道された。
最もデリケートな問題点にいきなり単刀直入に触れた格好で、筆者はこれは明らかに「言わずもがなの不用意な発言」であったと考えているが、岡田氏にしてみれば、被爆国の外務大臣として、日本人の特別な国民感情と国内世論をはっきりインド側に伝え、釘を刺しておくべきだと判断したものであろう。
日本国内で、日印協定交渉開始に反対する人々も、もし右の点が協定中に明記されるのであればそれなりの価値はあり、敢えて交渉開始には反対しないという意見、逆に、もし日本がこの要求を最後まで貫けばインド側は当然拒否するだろうから協定交渉はどっちみち頓挫すると期待している向きもあるようである。
実は、この点は、米印原子力協定交渉で最ももめた点で、2年前の「原子力供給国グループ」(NSG)での審議の際も大いに紛糾した。結局、NSG会合の直前にインドの外務大臣が「核実験の自粛」(モラトリアム)を継続すると確約したのが決め手となって、いわゆるインドの特例化が全会一致で承認されたという経緯がある。
インドとしては、将来核実験を行うかどうかは国家の主権的な判断に関わる事項で、他国による強制や容喙は絶対に受け入れられないという立場を明確にしている。これは国際法上当然のことである。包括的核実験禁止条約(CTBT)が発効していればともかく、米中が未批准なため発効していない状況でインドにだけ核実験禁止を押し付けることは筋が通らず、できない相談である。それを敢えてインドに強要するだけのテコを現在の日本は持っていない。
◇ ◇
各位も冷静になってよく考えてみてほしい。そもそも、インドが将来核実験をしなければならない状況が起こったと仮定して、それはいかなる状況であろうか。
オバマ米大統領の「核兵器なき世界」(プラハ演説、2009年4月) に伴う国際的な潮流の中で、ただ一人黙々と核戦力増強路線を驀進している中国や、その援助を受けて本格的に核武装した隣国パキスタンが、今後核実験を再開する可能性は十分あり得るが、その場合は勿論のこと。仮に、あからさまな核実験は行わなくても、両国又はそのいずれかが甚だしく不穏かつ挑発的な動きをなし、その結果インド側が国の安全保障を極度に脅かされたと判断した場合には、対抗上インドが核実験を行ったとしても、国際社会がそれを容認する蓋然性が十分ある。NPTすら、その第10条で、「国家の至高の利益」が害されたと判断した場合には、NPT加盟国さえもNPTから脱退する権利を持つとはっきり規定している。いわんや非加盟のインドの場合は。それが掛け値なしの国際法の解釈であり、国際政治の現実の姿である。このことは何人も、いかなる国も否定できない。
いかに被爆国だからと言っても、観念的、感情的に、インドに対してあらゆる場合に核実験を止めよという法的義務を課すことはできないし、もし実験を行なったら直ちに対印原子力協力を停止するとか、協定下で日本がインドに提供した原発機材、技術の即時返還を求めることなどは明らかに非現実的である。そのような、あまりにも偏狭かつ非妥協的な立場を固守すれば、日印原子力協定は到底実現しないし、そうなれば日印関係は重大な影響を免れない。
◇ ◇
さはさりながら、筆者は、対印原子力協力を闇雲に進めるべしとか、インド側の要求はすべて飲めなどとは一度も言っていない。世界唯一の被爆国としての経験に基づく合理的な最低限の要求は行うのは当然である。すなわち、インドがNPT非加盟のままでも、核廃絶の方向で前向きに行動するよう、なんらかの形でインドに「タガ」を嵌めておくべきであり、さらに今後、核廃絶のために日印が協力する足場を作っておくべきだと考えている。
そのために、当然ながら、双方の交渉担当者は最大限知恵を絞り、双方にとって最善の協定を作り出すべく全力を尽くすべきである。
ただし、相手にとって明らかに受け入れ不可能なことを最初から要求し、日本の一般国民の期待値を徒に高め、結果的に自縄自縛に終わることは決して賢明なやり方ではなく、それだけは是非とも避けるべきだということである。
(了)
2010.10.22
さらに、10月24日来日したマンモハン・シン印首相と菅直人首相の間で協定交渉の促進方が合意された。両国の関係業界(原子炉メーカー、電力など)の期待も大いに高まっている。過去30余年間、各方面の執拗な反対論の中で、事実上唯一人、一貫して日印原子力関係の促進を提唱してきた筆者としては、まさに同慶の至りではある。
しかし、交渉の実態を仔細に観察すると、決して手放しで喜ぶことはできない。インド側はともかく、日本側においては、原子力業界でさえも、原子力外交の難しさを一向に理解しておらず、協定交渉の具体的な問題点についての理解が恐ろしく欠如しているからである。政府の説明も相変わらず甚だ不十分である。
よって、ここでは、問題点の中で最も重要で、かつ最も厄介なものを1点だけ解説しておく。(ご参考までに、筆者は外交官として長年原子力外交を担当し、外務省初代原子力課長も務めた。インドとは、1974年のインドの第1回核実験直後から個人的に深く関わっている。)
◇ ◇
さる8月下旬に別件で訪印した岡田外務大臣(当時)はニューデリーでの記者会見で、「仮に将来インドが核実験を実施したら、対印原子力協力を停止せざるを得ないだろう」と明言したと伝えられた。インドのマスコミが一番気にしていた点で、当然大きく報道された。
最もデリケートな問題点にいきなり単刀直入に触れた格好で、筆者はこれは明らかに「言わずもがなの不用意な発言」であったと考えているが、岡田氏にしてみれば、被爆国の外務大臣として、日本人の特別な国民感情と国内世論をはっきりインド側に伝え、釘を刺しておくべきだと判断したものであろう。
日本国内で、日印協定交渉開始に反対する人々も、もし右の点が協定中に明記されるのであればそれなりの価値はあり、敢えて交渉開始には反対しないという意見、逆に、もし日本がこの要求を最後まで貫けばインド側は当然拒否するだろうから協定交渉はどっちみち頓挫すると期待している向きもあるようである。
実は、この点は、米印原子力協定交渉で最ももめた点で、2年前の「原子力供給国グループ」(NSG)での審議の際も大いに紛糾した。結局、NSG会合の直前にインドの外務大臣が「核実験の自粛」(モラトリアム)を継続すると確約したのが決め手となって、いわゆるインドの特例化が全会一致で承認されたという経緯がある。
インドとしては、将来核実験を行うかどうかは国家の主権的な判断に関わる事項で、他国による強制や容喙は絶対に受け入れられないという立場を明確にしている。これは国際法上当然のことである。包括的核実験禁止条約(CTBT)が発効していればともかく、米中が未批准なため発効していない状況でインドにだけ核実験禁止を押し付けることは筋が通らず、できない相談である。それを敢えてインドに強要するだけのテコを現在の日本は持っていない。
◇ ◇
各位も冷静になってよく考えてみてほしい。そもそも、インドが将来核実験をしなければならない状況が起こったと仮定して、それはいかなる状況であろうか。
オバマ米大統領の「核兵器なき世界」(プラハ演説、2009年4月) に伴う国際的な潮流の中で、ただ一人黙々と核戦力増強路線を驀進している中国や、その援助を受けて本格的に核武装した隣国パキスタンが、今後核実験を再開する可能性は十分あり得るが、その場合は勿論のこと。仮に、あからさまな核実験は行わなくても、両国又はそのいずれかが甚だしく不穏かつ挑発的な動きをなし、その結果インド側が国の安全保障を極度に脅かされたと判断した場合には、対抗上インドが核実験を行ったとしても、国際社会がそれを容認する蓋然性が十分ある。NPTすら、その第10条で、「国家の至高の利益」が害されたと判断した場合には、NPT加盟国さえもNPTから脱退する権利を持つとはっきり規定している。いわんや非加盟のインドの場合は。それが掛け値なしの国際法の解釈であり、国際政治の現実の姿である。このことは何人も、いかなる国も否定できない。
いかに被爆国だからと言っても、観念的、感情的に、インドに対してあらゆる場合に核実験を止めよという法的義務を課すことはできないし、もし実験を行なったら直ちに対印原子力協力を停止するとか、協定下で日本がインドに提供した原発機材、技術の即時返還を求めることなどは明らかに非現実的である。そのような、あまりにも偏狭かつ非妥協的な立場を固守すれば、日印原子力協定は到底実現しないし、そうなれば日印関係は重大な影響を免れない。
◇ ◇
さはさりながら、筆者は、対印原子力協力を闇雲に進めるべしとか、インド側の要求はすべて飲めなどとは一度も言っていない。世界唯一の被爆国としての経験に基づく合理的な最低限の要求は行うのは当然である。すなわち、インドがNPT非加盟のままでも、核廃絶の方向で前向きに行動するよう、なんらかの形でインドに「タガ」を嵌めておくべきであり、さらに今後、核廃絶のために日印が協力する足場を作っておくべきだと考えている。
そのために、当然ながら、双方の交渉担当者は最大限知恵を絞り、双方にとって最善の協定を作り出すべく全力を尽くすべきである。
ただし、相手にとって明らかに受け入れ不可能なことを最初から要求し、日本の一般国民の期待値を徒に高め、結果的に自縄自縛に終わることは決して賢明なやり方ではなく、それだけは是非とも避けるべきだということである。
(了)
2010.10.22