寄稿・提言

平林理事長のエッセー

2014年11月17日掲載


 慰安婦問題は、パク・クネ韓国大統領就任後、その強硬方針によって燃え上がった。パク・クネ大統領は、首脳外交や国際会議の場で自ら慰安婦問題を提起し、対日批判を行ってきた。
 米国においては、韓国系米国人が各地で慰安婦像の建立キャンペーンを展開し、議会でも慰安婦決議が採択された。

 9月11日、32年にわたり慰安婦問題を煽ってきた朝日新聞が、原点となった故吉田清治氏の済州島での「慰安婦狩り」証言を作り話と認め、関係記事16本を取り消し謝罪した。
 しかし、これはtoo little, too lateの感を免れない。1992年に現代史家の秦郁彦氏らの済州島での現地調査により吉田清治証言の虚偽が明らかになったが、朝日は訂正せず、虚構にしがみついてきた。しかも、今回の朝日の謝罪は「読者と関係者」に向けられただけであった。吉田清治証言の誤報は、河野官房長官談話に影響し、韓国内の反日感情をあおって日韓関係を損なった。慰安婦を「性奴隷」として日本を糾弾した国連人権委員会クワラスワミ報告や米国議会での対日非難決議の根拠ともなった。日本や日本人の名誉と尊厳を傷つけたが、これに対する朝日の謝罪は、今に至るもない。

 筆者は、1995年半ばから98年初頭まで、内閣官房兼総理府外政審議室長(現在の内閣官房副長官補の前身)として、村山富市総理に半年、橋本龍太郎総理に2年間仕えた。慰安婦問題は仕事の大きな比重を占めた。就任前にはすでに、レールは敷かれていた。1993年8月の「河野官房長官談話」に加え、94年8月には「戦後50年に向けての村山総理談話」において慰安婦問題に関し「心からの深い反省とお詫びの気持ち」が表された。95年6月には、女性のためのアジア平和国民基金(略してアジア女性基金、以下「基金」)が設立された。「基金」は、慰安婦問題は1965年の日韓基本条約によって法的には解決済みとの政府の立場を尊重しつつも、道義的立場から措置を取ることを使命とした。
 筆者の役割は、「基金」を支援して、慰安婦問題を最終的に決着させることであった。「基金」は、当初は警視総監、参議院議長を歴任した原文兵衛氏が理事長(その後村山元首相が継承)に就任し、石原信雄元内閣官房副長官以下、善意にあふれ正義を重視する有識者を集めて出発した。思想的には保守からリベラルまで、バランス良く役員が選ばれた。山口淑子参議院議員ほか多方面から女性も参加した。
 「基金」は広く国民から基金を募り、約6億円を集めた。それをもとに元慰安婦一人当たり200万円(当時)を「償い金」として届けるとともに、各国の元慰安婦に対する医療・福祉支援事業のために7億円相当の政府資金(物価水準を勘案し、韓国、台湾、オランダで一人当たり300万円相当、フィリピンで120万円相当)を支出した。しかし、金銭だけでは元慰安婦の傷はいやされないとのコンセンサスに基づき、日本政府を代表して総理大臣の反省とお詫びの手紙を添えることになった。筆者は、橋本龍太郎総理の手紙の起案にも関与した。償い事業と総理大臣の手紙は、2002年に終わるまで、歴代総理に引き継がれた。
 償い金の募金は、財界代表の経団連から労働界代表の連合まで、また多くの個人から集められた。筆者は、当時の経団連会長の豊田章一郎氏ほか5人の副会長にお会いし、募金をお願いして協力をいただいた。連合本部にも何回か参上し、募金をいただいた。一般国民のほか政府機関の職員にもお願いした。元慰安婦たちや相手国政府に対しては、償い金は法的な責任に基づく賠償金ではないが、多くの国民が自発的に拠出した「浄財」であり、誠意がこもったものであることを訴えた。総理大臣の誠意ある反省とおわびの手紙とともに、「浄財」は、計285名の韓国、台湾、フィリピンの元慰安婦たちが日本の誠意を理解し、受け取ってくれた。韓国人の元慰安婦も、結局61名が受け取った。
 インドネシア政府は、元慰安婦個々人への対応は難しいとしたので、協議の結果、女性を中心とした高齢者社会福祉推進事業への支援として、総額3億8千万円を10年間にわたって支出した。オランダも、総額2億5500万円の規模で医療福祉支援事業を行った。この間、中国政府は慰安婦については一貫して沈黙を守り問題にせず、現在の対応とは全く違っていた。

 筆者は、慰安婦問題では、国会で政府委員として何度も答弁に立った。焦点は、河野談話は一定の「強制性」を認めたが、日本軍の「強制連行」は有ったのかどうかであった。筆者はその証拠は発見できなかったと答弁した。
 河野談話は、「慰安所は軍が直接あるいは間接にこれに関与した。(中略)甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が多くあり、(中略)慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。」と述べている。河野談話に至る過程で日本政府は内外で広範な調査を行い、韓国では16人の元慰安婦から事情を聴取した。彼女たちは韓国政府が推薦したものであり、その証言はぶれたりしたので、本当は裏付け調査をすべきものではあったが、多くの制約があり行われなかった。このことが、今でも証言の信ぴょう性に関する疑義を生んでいる。
 しかし、いくら調査しても、日本軍自らが慰安婦を強制連行したことを示す証拠は見つからなかった。軍の関与を示した文書としては、川原直一陸軍省副官が送付した「支那事変ノ経験ヨリ観タル軍紀振作対策」(1940年9月19日)が残っている。そこでは「事変地ニオイテハ特ニ環境ヲ整理シ慰安施設ニ関シ周到ナル考慮ヲ払ヒ殺伐ナル感情及ビ劣情ヲ緩和抑制スルコトニ留意スルコトヲ要ス」とした。軍は「志気ノ振興、軍紀ノ維持、犯罪及性病ノ予防」に注意を払っていた。もう一つ。オランダ政府の1994年1月24日付調査報告書は、インドネシアのスマランの慰安所を最悪のケースと断じたが、同時に、現地の日本軍が女性を強制したことを知った上官は直ちに慰安所を閉鎖させたこと、さらに責任者は戦後死刑に処せられたことを明記している。この二つの事例は、日本軍による強制連行説とは相いれない。

 日本政府は、日韓基本条約により法的には解決済みとの立場をとりつつも、「基金」を通じ道義的な措置を取った。総理大臣も謝罪した。
 韓国政府や急進的な元慰安婦によるさらなる謝罪と賠償金の要求は、日本の取った措置を無視した無理筋だ。韓国は、理不尽な要求や国際的反日キャンペーンを止めるべきだ。コトの発端をつくりだした朝日が訂正・謝罪したいま、日本は官民ともに、事実と日本人の誠意をより積極的に国際社会に発信する必要がある。