インドにモディ政権が登場して早や半年が経とうとしている。その間、8月末から9月3日まで来日し、これが先進国では初の訪問国であるということで大きく報道されたことは記憶に新しい。
新首相モディ氏は9月27日ニューヨークの国連総会で演説し、30日には米オバマ大統領と会談し、経済、エネルギー・科学技術、外交・安全保障などの幅広い分野で米印の戦略関係を強化することで一致した、と伝えられた。アメリカにしてみれば、インド外交官逮捕事件などで冷え込んでいた対インド関係を改善することができた、との記事もあった。アメリカの進める、中国とのバランスを採る、いわゆる「リバランス(再均衡)政策」を進めるうえで、インドがアジアにおける最重要国になっていることが伺われた。
日本訪問の2週間後の9月17日、モディ首相は中国の習近平主席を出身地であるグジャラート州の州都アーメダバードに出迎え、私的な誕生パーティの席に招いて歓待した。反英独立運動の指導者ガンディの旧宅とその周辺を2人で散策している様子は世界に発信された。日本で安倍首相が東京を離れて京都でモディ氏を出迎えたのと同様に、モディ首相も例外的に首都を離れて中国からの賓客を迎えたわけだが、中国とインドは過去に幾度も戦火を交え現在も小競り合いが続いている。そこは、互いに相手を大国としてその重要性を認識し、紛争の拡大抑止に努めているように見える。会談の場では、モディ氏は習主席に面と向かって中国による領土侵犯を非難し、また、中国からの投資促進の確約を取り付けた。日本でも友好的雰囲気の中で、2+2(両国の外相と防衛相による定期会合)の設置を受け入れなかった。是是非非の基本を守り通すところにインドの自信と余裕が見て取れる。
経済面で言えは、日本から5年間に3.5兆円規模の官民の投資を、また中国から2兆円の投資の約束を取り付け、その上でアメリカから多角的な関係強化で合意し、まずはモディ首相の実行力を見せつけられた感がある。
グジャラート州の州首相として同州をインドで最も高い経済成長に導いた実績でその名がインド全土に知れ渡り、首相の座に就いたモディ氏にとって経済発展が最優先事項であることは間違いない。その点で日本、アメリカとも経済の結びつきを強めるが、それが中国を排除するものではないことを示している。現実に中国は最大の貿易相手国でもあり、むしろ、インド外交は印米関係を対中国で有利に動かすテコとするほどに戦略的な思考を持っているように見える。日印関係も、中国との交渉を有利にする材料の1つと考えていても不思議ではない。これらをひっくるめての「全方位外交」なのだろう。
現在、インドは日本からの最大のODA(政府開発援助)受取国であり、インドから見ても日本は最大の二国間供与国となっている。日本政府は、日印原子力協定の早期調印を目指しており、民生用に限りインドの原子力開発に協力する体制作りを進めている。NPT(核不拡散条約)に未加盟の国に対し原子力技術を輸出することについては内外に反対意見も多い。日本側は高速道路、新幹線の売り込みも進めるが、またインドの非関税障壁や不明瞭な税制についてはたびたび申し入れをしている。
安保・防衛の面で言えば、2012年7月の日印の合同訓練に続き、2014年7月には日米印3カ国で合同海上訓練を実施した。メディアでは中国の海洋進出の事例として「インド洋の首飾り戦略」つまり、バングラデシュ、スリランカ、パキスタンなど、インドの周辺国での中国によるによる港湾建設支援などを採りあげることが多いが、インドは中国ともロシアとも個別に、また3国でも共同訓練を行っている国でもある。
インドの「グローバル戦略」の動きを追うと日本のそれとは対照的であることが分かる。9月13日にタジキスタンのドゥシャンベで開かれたSCO(上海協力機構)にオブザーバーとして出席したインドのスワラージ外相は、インドのSCOへの正式加盟を申請した。承認されると、中国、ロシア、ブラジル、南アとでブリックス(BRICS)を構成し、かつ中国、ロシア及び中央アジア諸国とSCOと形成することになる。2つの諸国協定で中国、ロシアとは世界の諸問題に共同して協議する場を持つことになる。
7月にブラジルのフォルタレザで開催されたブリックスの首脳会議では、モディ首相、習主席、ブーチン大統領が会談し、途上国のインフラ整備支援を主目的とする「インフラ開発投資銀行」の設立が討議された。ここでは、IMF(国際通貨基金)や世界銀行の基盤となっている「ブレトンウッズ体制」の見直しを迫ると明言しているため、日本政府のみならず、欧米先進諸国はインドの動きを読み切れないでいるかのようである。日本政府はこの新銀行に対して非協力の見解を出すにとどまっている。
モディ氏は南アジアを変えていく
モディ首相の登場はインド社会に大きな変化をもたらすのみならず、南アジア全域に影響をもたらしつつあるようである。
筆者が日本在住のインドの人たちと話す限りにおいては、新政権は概ね好意的に受け止められている。かれらは異口同音に「これまでにない実行力のある政府になる」、「モディ氏は公約を次々と実行に移している」と語っている。これからのアジアの動きを考える上でモディ首相個人の人となりや発言録を分析してみる必要があるように思われる。筆者にはモディ氏には少なくとも4つの顔があるように感じられる。
最初に熱心な「ヒンドゥ信奉者」であることを挙げねばならない。それは、公式の場ですべてヒンディ語でスピーチしていることにも伺われる。従来インドの首脳は外国では英語でスピーチしていたが、モディ氏はそこに一線を引いている。来日時にも、モディ氏に挨拶する人たちが何語で話しかけたらよいのか戸惑う様子がテレビに映し出されていた。服装はシェルワニー(詰襟長袖の正装)やカーディ(手織り木綿生地)の伝統的な衣装に身を包み、挨拶も合掌を握手に優先している。それゆえにモディ氏は他の宗教宗派には十分に気を配っている。特にイスラームに対しては特に配慮を呼びかけている。就任前に内外のメディアがその個人的資質について、特に過去のRSS(民族奉仕団)での経歴や2001年のグジャラート州でのムスリム(イスラーム信徒)襲撃事件当時の州首相としての責任に触れていたが、今のところ収まっているようである。
二つ目は「反既得権益」の代表者としての顔である。モディ氏は反英独立闘争に人生を尽くした先人たちへ崇拝の念を表明することが多い。中でも、グジャラート州出身の政治家ヴァッラバーイ・パテールへの敬意をことあるごとに表明している。パテールはガンディの下、国民会議派(コングレス)の重鎮であったが、独立後の政府ではネルー首相のもとで副首相兼内務大臣を務めた。華々しく国際舞台で活躍するネルーの陰で国内の難問に取り組んでいたのがパテールであった。
モディ氏は先の総選挙の際に、「パテルが初代首相になっていればこの国は変わっていたであろう」と演説して、長年首都デリーに巣食う既得権益者の代表としての会議派指導部を揶揄し、かれらの反発を呼んだ。初代首相ネルーとその後もインド政界で指導的地位にあったネルー・ガンディ一派へのあてつけとも受け止められた。首相となった今は言辞は控えているが、パテールに光を当てることで「ネルー神話」を希釈させ、「新しいインド」建設を始める、と意思表示しているように見える。
三番目は「新興国の代弁者」であることだろう。インドは1991年に経済政策を方向転換して以来自由化政策を進めており、モディ氏も自らの経済振興策を「モディノミクス」と呼んで、外資の導入に積極的である。だが、先進諸国が要求する条件をそのまま受け入れているのではない。自由競争による経済の発展・拡大は認めているが、過度の自由化は今のインドには受け容れられないものがある、と主張する。自国の小規模店舗の保護のために、複数ブランドを扱う小売業分野の外資の進出には厳しい制限をつけている。他の分野においても自国産業保護のために外国企業に制限を付けることに躊躇しない。ことに金融資本が製造業の上位に付くような先進諸国の経済システムを好ましいものとは受け止めていないようである。気象変動、資源・エネルギー、また食糧問題などの国際会議の場では、インド代表が途上国、新興国の代弁者として滔々と長広舌で演説することがよく見られる。
来日中、モディ首相は都内で2千人を集めた講演会で、「インドには低コストで質の高い労働力がある」と語り、「もっとインドで製造しよう」と呼びかけた。「メーク・イン・インディア」はモディ政権が掲げるキーワードの1つである。特に製造業の裾野を固める中堅・中小企業の進出に期待を寄せ、「日本の中小企業は、インドの大企業と同程度の力を持っている」と称賛した。
四つ目の顔は、上記の全てに繋がる「庶民性」である。少年の頃のモディ氏は、父親を手伝って路上でのお茶売りをしていた、と伝えられる。この体験が、政治家となったモディ氏のパフォーマーとしての才能を開花させたのかもしれない。モディ氏は下級階層の出であり、働く人の味方、と発言し、社会的公平性を確立する、と公約している。そのためには、社会インフラの整備、ことに衛生面の改善が急務である。市街の道路に出て清掃する「クリーン・インディア( Swachh Bharat )」運動に自ら箒を手にして参加し、たびたびその写真が新聞に登場している。当初は小さな動きと見られていたものが大都市から地方都市へ、さらには農村部へと広がる気配を見せている。この活動は、モディ氏に一抹の不安を感じていた人々をも引き付けているようである。保険衛生は南アジアに共通する課題でもあり、モディ首相の実行力はいろいろな観点から注目される。
インドと日本は置かれた立場はだいぶ異なる。インドは複数の諸国協定に参加して発言し、かつ特定の国と過度に協力関係になることを選ばない。新しい指導者を得て、経済的にも軍事的にも独立・独自の原則はますます明瞭である。日印間は相互にはっきりと物の言える関係にならねばならない。周辺環境が異なる日本とインドでは外交方針は多少異なるが、日本もアジアで、世界で、より多くの選択肢を用意して自由度の高い戦略を立てる時期ではないだろうか、その為にも若い人たちはもっと多言語、多文化に関心を持った方がよいのではないだろうか。筆者にはモディ氏の登場がそれを促しているかのように見えるのである。
インドは日本にとってのみならず、米国にも、中国にも、ロシアにとっても「与(くみ)しやすい国」ではない。それゆえに「信頼に足る国」なのである。
(了)
新首相モディ氏は9月27日ニューヨークの国連総会で演説し、30日には米オバマ大統領と会談し、経済、エネルギー・科学技術、外交・安全保障などの幅広い分野で米印の戦略関係を強化することで一致した、と伝えられた。アメリカにしてみれば、インド外交官逮捕事件などで冷え込んでいた対インド関係を改善することができた、との記事もあった。アメリカの進める、中国とのバランスを採る、いわゆる「リバランス(再均衡)政策」を進めるうえで、インドがアジアにおける最重要国になっていることが伺われた。
日本訪問の2週間後の9月17日、モディ首相は中国の習近平主席を出身地であるグジャラート州の州都アーメダバードに出迎え、私的な誕生パーティの席に招いて歓待した。反英独立運動の指導者ガンディの旧宅とその周辺を2人で散策している様子は世界に発信された。日本で安倍首相が東京を離れて京都でモディ氏を出迎えたのと同様に、モディ首相も例外的に首都を離れて中国からの賓客を迎えたわけだが、中国とインドは過去に幾度も戦火を交え現在も小競り合いが続いている。そこは、互いに相手を大国としてその重要性を認識し、紛争の拡大抑止に努めているように見える。会談の場では、モディ氏は習主席に面と向かって中国による領土侵犯を非難し、また、中国からの投資促進の確約を取り付けた。日本でも友好的雰囲気の中で、2+2(両国の外相と防衛相による定期会合)の設置を受け入れなかった。是是非非の基本を守り通すところにインドの自信と余裕が見て取れる。
経済面で言えは、日本から5年間に3.5兆円規模の官民の投資を、また中国から2兆円の投資の約束を取り付け、その上でアメリカから多角的な関係強化で合意し、まずはモディ首相の実行力を見せつけられた感がある。
グジャラート州の州首相として同州をインドで最も高い経済成長に導いた実績でその名がインド全土に知れ渡り、首相の座に就いたモディ氏にとって経済発展が最優先事項であることは間違いない。その点で日本、アメリカとも経済の結びつきを強めるが、それが中国を排除するものではないことを示している。現実に中国は最大の貿易相手国でもあり、むしろ、インド外交は印米関係を対中国で有利に動かすテコとするほどに戦略的な思考を持っているように見える。日印関係も、中国との交渉を有利にする材料の1つと考えていても不思議ではない。これらをひっくるめての「全方位外交」なのだろう。
現在、インドは日本からの最大のODA(政府開発援助)受取国であり、インドから見ても日本は最大の二国間供与国となっている。日本政府は、日印原子力協定の早期調印を目指しており、民生用に限りインドの原子力開発に協力する体制作りを進めている。NPT(核不拡散条約)に未加盟の国に対し原子力技術を輸出することについては内外に反対意見も多い。日本側は高速道路、新幹線の売り込みも進めるが、またインドの非関税障壁や不明瞭な税制についてはたびたび申し入れをしている。
安保・防衛の面で言えば、2012年7月の日印の合同訓練に続き、2014年7月には日米印3カ国で合同海上訓練を実施した。メディアでは中国の海洋進出の事例として「インド洋の首飾り戦略」つまり、バングラデシュ、スリランカ、パキスタンなど、インドの周辺国での中国によるによる港湾建設支援などを採りあげることが多いが、インドは中国ともロシアとも個別に、また3国でも共同訓練を行っている国でもある。
インドの「グローバル戦略」の動きを追うと日本のそれとは対照的であることが分かる。9月13日にタジキスタンのドゥシャンベで開かれたSCO(上海協力機構)にオブザーバーとして出席したインドのスワラージ外相は、インドのSCOへの正式加盟を申請した。承認されると、中国、ロシア、ブラジル、南アとでブリックス(BRICS)を構成し、かつ中国、ロシア及び中央アジア諸国とSCOと形成することになる。2つの諸国協定で中国、ロシアとは世界の諸問題に共同して協議する場を持つことになる。
7月にブラジルのフォルタレザで開催されたブリックスの首脳会議では、モディ首相、習主席、ブーチン大統領が会談し、途上国のインフラ整備支援を主目的とする「インフラ開発投資銀行」の設立が討議された。ここでは、IMF(国際通貨基金)や世界銀行の基盤となっている「ブレトンウッズ体制」の見直しを迫ると明言しているため、日本政府のみならず、欧米先進諸国はインドの動きを読み切れないでいるかのようである。日本政府はこの新銀行に対して非協力の見解を出すにとどまっている。
モディ氏は南アジアを変えていく
モディ首相の登場はインド社会に大きな変化をもたらすのみならず、南アジア全域に影響をもたらしつつあるようである。
筆者が日本在住のインドの人たちと話す限りにおいては、新政権は概ね好意的に受け止められている。かれらは異口同音に「これまでにない実行力のある政府になる」、「モディ氏は公約を次々と実行に移している」と語っている。これからのアジアの動きを考える上でモディ首相個人の人となりや発言録を分析してみる必要があるように思われる。筆者にはモディ氏には少なくとも4つの顔があるように感じられる。
最初に熱心な「ヒンドゥ信奉者」であることを挙げねばならない。それは、公式の場ですべてヒンディ語でスピーチしていることにも伺われる。従来インドの首脳は外国では英語でスピーチしていたが、モディ氏はそこに一線を引いている。来日時にも、モディ氏に挨拶する人たちが何語で話しかけたらよいのか戸惑う様子がテレビに映し出されていた。服装はシェルワニー(詰襟長袖の正装)やカーディ(手織り木綿生地)の伝統的な衣装に身を包み、挨拶も合掌を握手に優先している。それゆえにモディ氏は他の宗教宗派には十分に気を配っている。特にイスラームに対しては特に配慮を呼びかけている。就任前に内外のメディアがその個人的資質について、特に過去のRSS(民族奉仕団)での経歴や2001年のグジャラート州でのムスリム(イスラーム信徒)襲撃事件当時の州首相としての責任に触れていたが、今のところ収まっているようである。
二つ目は「反既得権益」の代表者としての顔である。モディ氏は反英独立闘争に人生を尽くした先人たちへ崇拝の念を表明することが多い。中でも、グジャラート州出身の政治家ヴァッラバーイ・パテールへの敬意をことあるごとに表明している。パテールはガンディの下、国民会議派(コングレス)の重鎮であったが、独立後の政府ではネルー首相のもとで副首相兼内務大臣を務めた。華々しく国際舞台で活躍するネルーの陰で国内の難問に取り組んでいたのがパテールであった。
モディ氏は先の総選挙の際に、「パテルが初代首相になっていればこの国は変わっていたであろう」と演説して、長年首都デリーに巣食う既得権益者の代表としての会議派指導部を揶揄し、かれらの反発を呼んだ。初代首相ネルーとその後もインド政界で指導的地位にあったネルー・ガンディ一派へのあてつけとも受け止められた。首相となった今は言辞は控えているが、パテールに光を当てることで「ネルー神話」を希釈させ、「新しいインド」建設を始める、と意思表示しているように見える。
三番目は「新興国の代弁者」であることだろう。インドは1991年に経済政策を方向転換して以来自由化政策を進めており、モディ氏も自らの経済振興策を「モディノミクス」と呼んで、外資の導入に積極的である。だが、先進諸国が要求する条件をそのまま受け入れているのではない。自由競争による経済の発展・拡大は認めているが、過度の自由化は今のインドには受け容れられないものがある、と主張する。自国の小規模店舗の保護のために、複数ブランドを扱う小売業分野の外資の進出には厳しい制限をつけている。他の分野においても自国産業保護のために外国企業に制限を付けることに躊躇しない。ことに金融資本が製造業の上位に付くような先進諸国の経済システムを好ましいものとは受け止めていないようである。気象変動、資源・エネルギー、また食糧問題などの国際会議の場では、インド代表が途上国、新興国の代弁者として滔々と長広舌で演説することがよく見られる。
来日中、モディ首相は都内で2千人を集めた講演会で、「インドには低コストで質の高い労働力がある」と語り、「もっとインドで製造しよう」と呼びかけた。「メーク・イン・インディア」はモディ政権が掲げるキーワードの1つである。特に製造業の裾野を固める中堅・中小企業の進出に期待を寄せ、「日本の中小企業は、インドの大企業と同程度の力を持っている」と称賛した。
四つ目の顔は、上記の全てに繋がる「庶民性」である。少年の頃のモディ氏は、父親を手伝って路上でのお茶売りをしていた、と伝えられる。この体験が、政治家となったモディ氏のパフォーマーとしての才能を開花させたのかもしれない。モディ氏は下級階層の出であり、働く人の味方、と発言し、社会的公平性を確立する、と公約している。そのためには、社会インフラの整備、ことに衛生面の改善が急務である。市街の道路に出て清掃する「クリーン・インディア( Swachh Bharat )」運動に自ら箒を手にして参加し、たびたびその写真が新聞に登場している。当初は小さな動きと見られていたものが大都市から地方都市へ、さらには農村部へと広がる気配を見せている。この活動は、モディ氏に一抹の不安を感じていた人々をも引き付けているようである。保険衛生は南アジアに共通する課題でもあり、モディ首相の実行力はいろいろな観点から注目される。
インドと日本は置かれた立場はだいぶ異なる。インドは複数の諸国協定に参加して発言し、かつ特定の国と過度に協力関係になることを選ばない。新しい指導者を得て、経済的にも軍事的にも独立・独自の原則はますます明瞭である。日印間は相互にはっきりと物の言える関係にならねばならない。周辺環境が異なる日本とインドでは外交方針は多少異なるが、日本もアジアで、世界で、より多くの選択肢を用意して自由度の高い戦略を立てる時期ではないだろうか、その為にも若い人たちはもっと多言語、多文化に関心を持った方がよいのではないだろうか。筆者にはモディ氏の登場がそれを促しているかのように見えるのである。
インドは日本にとってのみならず、米国にも、中国にも、ロシアにとっても「与(くみ)しやすい国」ではない。それゆえに「信頼に足る国」なのである。
(了)